上方落語と江戸の落語

★兵庫・沖縄友愛提携三十周年記念
上方古典落語名人会プログラムより抜粋

上方落語と江戸落語         桂 文紅

上方弁でしゃべるのが上方落語で、江戸弁でやるのが江戸落語、と言ってしまえばそれまでですが、 双方の特徴となると初期の落語を見なければなりません。

 そもそも、落語の起源は東西ともに江戸時代中期です、それ以前は当時の文化人や茶人が、自分が 仕える殿様に種々の話を聞かせたところから始まります。これをお伽衆(おとぎしゅう)と言い、今も咄本 (はなしぼん)の源流として残っております。だが、何がしかのお金を貰って職業的な大衆芸能となると、 その発端は諸芸の華咲く文化・文政の頃―そう、現今より二百年ほど昔のこと。そこに東西の落語に大 きな違いがあります。

 上方は、野外で人の出盛る夕涼みの場所とか、神社仏閣の境内に葦簀(よしず)の囲いを作り、中で 賑やかに演っていて人々の足を止め、笑い声で招き入れたのが始まりです。

 これに対する江戸は、初手からお茶屋の座敷が会場だったから、聞く気で集まった雰囲気の中で起伏 に富んだ咄もやれます。上方の場合、見台を前にして叩きながら咄振りで笑わせたようです。そのような賑 やかな派手さは、今も、上方落語に″はめもの″という囃子(はやし)が入り、背景音楽の役割をしていま すし、現に、はめもの無しでは演れない落語もあって、その分、下座(げざ)さんも難しく落語の隅々まで 知っていないと勤まりません。本日の演目『更屋敷』『万国めぐり』で、その一端を聞いて頂けるでしょう。

 上方から江戸へ導入されたものに演者の″出囃子″があります。これとて古くは太鼓だけだった江戸 に、寄席囃子として三味線が入ったのはそう遠い昔ではありません。そればかりか、落語そのものも明治 の終わりごろ、七十幾つもの根夛(ねた)が移行され江戸風に焼きなおされて今日に至っております。

 このような上方落語の一大特徴として″旅のはなし″がありばす。弥次さん喜多さん同様の笑いの膝栗 毛ですが、上方を東西南北各方面の旅を描いたもので、一番長いものは『東の旅』で伊勢参宮のはなしで す。大阪を出発した二人連れが、奈良を見物し、日を重ねて伊勢参りを済まし、桑名から宮の渡し東海道 の草津から大妻で琵琶湖を舟で横切り、京都の名所を巡り淀川を夜船で大阪へ帰るまでを演じますと、約八 時間は掛かります。いわば、大河落語とでもいいましょうか。こんな奇抜なお笑いがあるのも上方落語なら ではの奥の深さかもわかりません。

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