平成18年12月16日(土曜日) 毎日新聞
ジャズと落語のお囃子とのコラボレーションで、ジャズの名曲を演奏してみたら、……。
こんなユニークな取り組みを続けているのが、ベテランのトロンボーン奏者、宗清洋や、三味線の内海英華だ。
クリスマスイブの24日、兵庫県尼崎市ライブスポットアローで4回目のライブイベント「LSA寄席」を開く。
宗清は「ジャズはそもそも何でもあり。未知の音色との出会いを楽しんでほしい」と話す。【記事。濱田元子、写真も】
アローは、関西を代表するジャズのビックバンドの一つ、北野タダオ&アロージャズオーケストラ(AJO)の活動拠点で、04年にオープンした。
「アローで和洋折衷の面白いことを」という話があり、12月、ジャズとお囃子のコラボレーションが実現した。
ジャズのカルケットに、内海の三味線のはか、落語家、桂枝女太の太鼓、桂しん吉の笛と、お囃子でおなじみの楽器がからむ。
普段、寄席で響いている寄席囃子とはひと味もふた味も違った洋と和の融合サウンドが聴きところ。
「寄席囃子はリズムがわりとアバウト。最初は拍子を合わせるのが難しく、本来の三味線の奏法を超えた指遣いにも苦労した」と内海。
今では「イン・ザ・ムード」「ラブ」「ハーレム・ノクターン」などレパートリーも10曲を超える。「三味線の芸の肥やしにもなっている」と内海は話す。
毎回新しいレパートリーを取り入れ、今回はクリスマスメドレーにも挑戦する予定。
宗清は「これまでのジャスにはなかった音が面白い。そのうち邦楽の曲もやってみたい」と意気込んでいる。
2人の落語のほか、内海の「女道楽(三味線漫談)」もある。
午後5時半開場。同6時45分から2ステージ(入れ替えなし)。
3000円(別途ワンドリンク・ワンフードの料金が必要)ライブスポットアロー(06-4862-5664)。
2006年11月20日 スポーツニッポン
艶女(アデージョ)なんて言葉がはやったけども「艶っぽい」というのは自信がにじみ出ている人のことを言うのではなかろうか。
澄んだ声音に涼やかな三味線…。寄席囃子(ぱやし)と女道楽の第一人者である内海英華(46=写真)の舞台を見た時に、何ともいえない色気を感じた。
「26歳ぐらいの時は30日で60軒のお囃子をこなしていた。そのころから春団治、文枝師匠らのお囃子をやってたわ」とにかくエネルギッシュ。休みの日も何かの稽古事をしている。
この道30年だそうだが第一線を走る秘けつは興味を持つということなのだろう。
中学生の頃は落語家になりたかった。父親が友達と買った桂米朝全集をダビングしたテープを風呂に入りながら聞いたという。
「湯船につかって地獄八景とかね。湯気でようテープをワヤにしましたわ。お囃子をやらしてもうて、ようこんな天職あったなあって思てます」
寄席囃子をするのに、この経験は役に立った。噺はすでに分かっているので、羽目物(落語の音効)がどこで入るのかも覚えていた。
「わたしって偉いわよねホホホ」。艶っぽい笑顔には芸人としての色気がたっぷりだった。
(演芸担当)
2004年11月29日 神戸新聞
<女道楽>の内海英華。本名・田中愛子。大阪市生まれ。
高校生の時、講談師の旭堂南稜に弟子入り。
翌年、初舞台を踏んだものの、廃業。
81年、漫才師の内海カッパに師事し、82年、寄席三味線の桑原ふみ子の門下となり、
落語会などで寄席囃子の演奏を始める。
94年、寄席三味線の継承、発展の功績が認められ、大阪市「咲くやこの花賞」を受賞。
その後、「女道楽」として活躍を開始。
舞踊、演歌も得意で、南京玉すだれ、バナナのたたき売りなど余芸にも精通している。
趣味はゴルフ、演芸鑑賞。
聞き手・岡崎丈和
写 真・三浦拓也
ほんまに自分がやりたいことをやれるようになったことは、この7,8年。
「女道楽」いう寄席芸人をやり始めてからですね。
三味線を弾いて、端唄や都々逸を唄う。
それに、踊りなんかを組み合わせた芸を見てもらうんです。
明治ぐらいからの寄席芸ですけど、今では、知っている人もあんまりいません。
昔からのネタなんかをヒントに、自分なりに構成を考えてやってます。 Read More
平成16年 8月10日 log-osaka.jp people.vol 53
<寄席囃子>、<女道楽>の内海英華。その姿はほのかな色気を漂わす…と思いきや、<天神祭>では、腹掛け姿で肌も露わに双盤を鳴らす姿も勇ましい。
そんな内海英華の素顔と、そして、絶妙な話術、三味線のセンス、芸に対する飽くなき探究心の源を探る。
プロフィール
1960年 大阪生まれ。
1978年 旭堂南陵に女流講釈として入門。
1979年 初舞台。
1981年 漫才師内海カッパに師事。
現在、大阪で唯一の<女道楽>で舞台や落語会に活躍。
1982年 桑原ふみ子(杵屋柳翁)に師事。
1996年 咲くやこの花賞
本業の「女道楽」のみならず、貴重な「寄席囃子」の継承者として、また、「南京玉すだれ」「寄席の踊り」と、その芸域は多岐にわたる。
三味線を弾きながら語る舞台は、ほのかな色気と話術、三味線の抜群なセンスで、根強いファンが多い。また、「天神祭」の「落語船」や
「彦八まつり」で、豪快に双盤を鳴らす姿も勇ましい。
生い立ちから、今まで師事してきた師匠たちの話、寄席の話、三味線の話…それらの中から、内海英華の素顔と、芸に対する飽くなき探究心
の源を探る。 Read More
2006年11月20日 スポーツニッポン
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これから始まる一席への期待を出囃子で盛り上げ、場面の情景や変化を音で表現する寄席囃子は、オペラにおけるオーケストラの役割と似ているかもしれません。
寄席三味線のトップランナーであり、しばらく絶えていた寄席芸”おんな道楽”の継承者として自らも舞台にも立つ内海英華さんを今号のゲストにお迎えしました。
● 伝統芸能の世界に入られたきっかけは?
大阪の子どもは小さい時からあたりまえのように松竹新喜劇や角座の中継などテレビで観てますでしょう。
私も典型的な大阪の子供のひとりだっただけなんですよ。まあ、どっちかというとテンポで笑わす吉本系の漫才よりも筋立てのある松竹のお笑いの方が好きでしたね。
中学まではスポーツ少女でしたが初芝高校に入学してプラスバンド部に勧誘されて・・・・。
いちばん持ち運びやすそうで、音も出やすそうなフルートを選びました。初めて吹いた時に意外にスット音が出たことを覚えています。
うちのプラスバンドで、一番好きだったのは「アルルの女」。とはいえ野球部の応援演奏に行くと「宇宙戦艦大和」とかピンクレディの「サウスポー」なんかを演奏してました。
だからいまでもこういう曲を耳にすると、真っ先に炎天下で暑かったことを思い出します。
でもフルートをやってたおかげで、寄席囃子で使う篠笛や能管も音が出るんですよ。プラスバンドやりながら噺家にもなりたくて落語研究会も作ったんです。
平成14年8月9日 読売新聞
ステージ・上方の落語家は年々増えて現在、200人近い。関西のどこかで、毎日のように落語会が開かれている。
そのほとんどに「お囃子さん」と呼ばれる三味線弾きの女性が同行する。
上方落語になくてはならない彼女らだが、人数はわずか14人。めったに表に出ないその素顔を追った。
「ドン、ドン、ドン」「チン、チン、チン」。若手落語家が鳴らす太鼓と鉦に合わせ、お囃子さん、吉崎律子が軽快な
撥さばき「シャン、シャン、シャン」と三味線を打つ。出囃子「石段」だ。高座に桂歌々志が上がると、観客が拍手で迎えた。
大阪・千日前トリイホールで毎月一日に開かれる「トリイ寄席」の始まりだ。
舞台の下手、階段わ三段下がった三畳ほどの場所に大太鼓、締太鼓が置かれ、三味線を抱いて座った吉崎もここから舞台を見守る。噺の途中で「はめもの」も演奏するからだ。 Read More
平成13年9月18日 朝日新聞
寄席三味線の若手有望株として、大阪市の1993年度「咲くやこの花賞」を受賞した内海英華(41)が三味線を志したのは、漫才の内海カッパに入門した81年のころだ。「何か一人で演じられるものをしたかった。
それには何か武器になるものがいる。三味線がええと言って紹介してもらったのが(桑原)ふみ子師匠でした」
大阪市東住吉区の団地の一室がけいこ場だった。
高校や大学の落語研究会(落ち研)メンバーや、噺家になる前の桂枝女太ら、大勢が習いに来ていた。
「師匠のけいこは長くても20分。向かい合って座って教えてくれるんですが、
それ以上、座ってたらしびれが切れるだけ、頭に入らん、そう言うてました」と英華は言う。 Read More
平成6年2月2日 朝日新聞
寄席三味線 内海さんらに大阪文化を担う若手文化人や芸術家に贈る
大阪市の「咲くやこの花賞」の今年の受賞者が1日、決った。
芸能、美術、音楽、演芸、文芸の各部門で、寄席三味線の内海英華さん(33)ら5人が選ばれた。
贈呈式は19日、市役所玄関ホールでひらかれる。
【大衆芸能】寄席三味線、内海英華さん(33)=浪速区。漫才の内海カッパに師事。
女流漫談で出演するとともに、寄席三味線を弾く。落語会に欠かせぬ存在。
【受賞理由】邦楽の素養と落語の知識が不可欠におはやしの世界にチャレンジ、芸に対する貧欲さとたゆまぬ努力で技量を磨くとともに、
持ち前の度胸の良さで各種落語会になくてはならない存在として、上方落語界を陰で支えている。
また、女流放談で舞台に立つほか、後進の指導にも力を注ぐなど、寄席三味線の第一人者として高く評価されている。
平成6年2月23日 朝日新聞
上方落語には出囃子だけだなく、噺の中にも、ふんだんに三味線や太鼓の効果音がはめこまれる。だが、演者と違って表には出てこない。
そんな寄席の三味線方で十一年余。このほど、若手芸能家らに贈られる大阪市の今年度咲くやこの花賞」に輝いた。
裏方の働きが認められたのだから、よけいにうれしかった。三味線弾きの目標になれました」中学生のころから寄席に通う。
高三で女性講談師、二十に歳で女性放談を志し、三味線の師匠のもとへ。週二回のけいこを六ヶ月ほどやり、落語会で押し掛け練習。
「ほんのお手伝いのつもり」が出発点だ。
「落語の中で、はめものでやる地唄などもレコードで勉強。落語をたくさん聞いているのが役に立っています」
今や春団治や文枝、染丸らの高座に欠かせない。
「度胸がよいので、少々間違うても臨機応変に合わせてくれる。後は唄に艶がでれば。年齢に応じていい声になりますよ」と染丸。まだ、三十三歳だ。
無形文化財の技を持つ故林家トミを目指せと「内海英華を無形文化財になるまで見守る会」も生まれた。
「結婚もしたいけど…。第一目標の賞はとれた」と、夢に向かって、まんざらではなさそうだ。
平成6年3月24日 毎日新聞
落語家がつとめる「高座」。その陰には、「下座」と呼ばれてきた重要な役割がある。
大阪・ミナミで開かれた落語会。舞台のそでをそっとのぞくと、〆太鼓担当の若手落語家のそばに、三味線をひざに置いた着物姿の女性が座っていた。
内海英華さん(33)。寄席三味線の世界に登場した新星だ。
この2月、大阪文化の若い担い手に贈られる大阪市の「咲くやこの花賞」を受賞したばかり。
落語家が高座へ上がる。出囃子がにぎやかに始まる。テケテケ、ドンドン、チリチリシャン。
陽気に、華やかに、内海さんは舞台に気を配りつつ、力強くバチをさばく、落語家が頭を下げる。
その動きに呼応して、音はきれいにぷつっとやむ。
この呼吸をつかむには、語り芸への深い理解が必要だ。
実は内海さんは、自分自身も「女放談」の舞台に立つ。その経験が寄席三味線に役立っているのだ。 Read More
平成7年6月13日 読売新聞
大阪府和泉市出身。家出同然で旭堂南陵(講談)にでしいり。
三味線の師匠は故桑原ふみ子。
昨年「咲くやこの花賞」を受賞。
5人の弟子に、繰り返し「根性で弾かなあかん」。34歳。
平成7年12月15日 朝日新聞
表舞台にはめったにあがらないが、落語に三味線方は欠かせない。
出囃子はテープでも代用できるが、演目によっては三味線方の伴奏や長唄などがないと、
京都で開かれた落語会で、客席から見えない舞台のそでをのぞいた。(上田 文世)
平成8年6月7日 朝日新聞
大阪市生まれ。82年から寄席三味線を弾く。
93年度大阪市「咲くやこの花賞」。
「南京玉すだれ」など多才
軽快な三味線の音色が観客をわくわくさせる。【チツチツテンテレ ツテチツテンテレ】
舞台のそでで高座の話に耳を澄まし、きっかけの言葉があると太鼓や鉦の鳴り物師たちと目で合図。
「はめもの」とよばれる寄席囃子を送る。「好きな落語を特別席で見ることができるのが魅力なんです。
雪、お化け、散財、芝居などを曲で表現する。 Read More